皆さんこんばんわ、IBERICO-YAグランドマスターが1人、垣之内一歩です。
本日は毎週皆さまから送られてくるお便りの中で、特に数が多かった質問についてお答えしたいと思います。
その質問とはズバリ、
「コルタドール名鑑って何??」
たしかにそのとーりですね。
ニュービー〈新米〉イベリカンの皆様が知らないのも無理はありません、当然です。
一般的には「コルタドール」とは「生ハムを切る職人」を指す言葉であり、文字通り生ハムのカッティング技術を習得した人の事を言います。
ニュービーでもここまでは知っているでしょう。
しかしコルタドール名鑑に書かれた内容は余りにもソレらとかけ離れています。
ニュービー達が書かれた内容と実際のコルタドール像に戸惑うのも無理はありません。
何故このようなズレが生じるのか?
ソレを説明するには先ず生ハム黎明期について話す必要があります、、、なぜって?
それは昔と今とで「コルタドール」の意味が全く違ってくるからです!!!
昔々、イベリコ豚の生ハム、通称ハモン・イベリコが日本に初めて輸入された時の事です。
輸入解禁時、一般的な知名度は0に等しかったイベリコ豚ですが、各地にアンテナを張り巡らせている一部の大手食品会社や様々な情報網を持っている暗黒企業、鼻が効く料理人や美味い物を追い求める美食家、そして数人の歴史研究家だけはイベリコ豚の事を、価値を、意味を知っていました。
そして、イベリコ豚が日本の食文化日本に与える影響と生み出す利益を見越していた彼等によって、イベリコ豚利権を独占する為の企業間闘争が各地で勃発しました。
決戦の舞台となったのは主に各地のスペインバルやポムの樹、そしてその企業間闘争の闘士としてハムを切る人のコトを、「コルタドール」または外人っぽい発音で「クォ゛ルダア゛ドゥル゛」と呼びました。
そうなのです、この時代のコルタドールは生ハムを切る「職人」でありながら、「闘士」であり「営業マン」でもあったのです。
例えば写真を見比べて見てください。
1枚目(左)が21世紀の普通のコルタドール、「IBERICO-YA心斎橋店店長・細川翔平」。
2枚目(右)はイベリコ黎明期のコルタドール、覇門会館の尖兵 「ハモンライダー」です。
黎明期のコルタドールと今のコルタドールはこれだけ違います。
昔のコルタドールはイベリコ豚だけでなく自社の宣伝もしなければならないのでかなり目立つ格好をする必要があり、更に人々に認知されやすいようコルタネームを名乗っていました。
ちなみにハモンライダーはイベリコ豚に乗って現れ、乗ってきたイベリコ豚をその場でさばく豪快なパフォーマンスがウリのショーマン系のコルタドールでした。
この時代はハモン・イベリコ以前に生ハム自体の認知度も低く、まともに生ハムを切れる人間はそう多くありませんでした。
しかし1から切り方を勉強し練習を積むなんて悠長なコトをしていれば他の企業に置いていかれます。
そして皆が皆、正しい切り方を勉強せずアドリブで試行錯誤を繰り返し独自のカッティング技術や演出を編み出していった結果、何だかよくわからない技術体系が生まれました。
この狂った時代のコトを、コルタドール達の記録を、技術体系を綴ったのがコルタドール名鑑です。素晴らしいですね。
しかし、とは言っても、元を正せば所詮は利権争いでしかありません。この時代を忌み嫌う人が多いのも事実です。
ところで日本で起こったイベリカン同士が戦い傷つけ合うこの惨劇を、スペインの人達はどう思っていたのでしょう?
次の更新では実際にスペインに赴き、当時の日本のイベリコ事情についてどう思っていたのかをインタビューしてきます。
次回「スペインから見るイベリコ黎明期」。
みんな、ぜったい見てくれよな!!
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